高鍋町にやってきた

目次

高鍋町をアートで盛り上げる

2025年5月より、宮崎県高鍋町にて、地域おこし協力隊として「アートでまちづくり」をすることになりました。作品制作をして町なかや公共施設などに作品を展示したり、高鍋町の情報発信をしていくことが主な仕事になります。

たまたま応募してから怒濤の引っ越しまで

高鍋町に知り合いがいるわけでもなく、本当にたまたま募集を見つけ、アートで町を盛り上げるという仕事内容が面白そうなので応募しました。この時の私は、高鍋町についての情報を持ち合わせておらず、ネット検索をして高鍋情報を広く浅く仕入れ、面接に臨みました。まさか受かるとは思わず応募し、運よく受かってしまったのが2月末。

その後、3月と4月にはやることが盛りだくさんで、高鍋町のアパート内見、内見に行くための往復航空券の手配、宿の手配、引っ越し業者の手配、電気ガス水道の停止と開始、転出手続き、荷造り荷造り荷造り…など、毎日何かしらやることがあり、怒濤のごとく過ぎ去りました。


高鍋町初日

着任してから

そして5月。いよいよ業務開始、となりましたが、引っ越し関連の手続きや、この仕事を始めるにあたってのもろもろの手続き、生活に関するもろもろの手続き、関係者へのもろもろの挨拶回りなどで、またしてもあっという間に過ぎていきました。書類に囲まれて事務手続きや調べものにだいぶ時間を割かれましたが、そんな時間も、この地で生活をしていく上ではなくてはならない時間だったと思います。

時は流れ6月。陶芸作品を作るにしても、現在自分専用の電気窯を持っていないので、町役場から高鍋在住の陶芸家の方を紹介してもらい、その方の陶芸教室を見学し、ひとまず私も教室に通いながら、作品を焼成してもらうことにしました。焼成の悩みが解決し、ようやく制作について考え始めることができそうな気がしています。


高鍋町2日目

改めて自己紹介

この機会に、改めて自己紹介をしておこうかと思います。

私は東京生まれ、東京育ちで、旅行では色んな国や地域に行ったことがありますが、「東京の家を引き払って他の土地に住む」ということはこれまでにしたことがなく、今回がおそらく初めての移住になります。しかも東京から宮崎という長距離の引っ越しで、これがとても大変でした。そして知り合いが一人もいない土地に行くのは不安でもありました。というか、不安しかありませんでした。しかし身内や友人知人が背中を押してくれて、今ここにいます。引っ越しの苦労話はまた別の機会にでも…。

絵や陶芸をやっている人は、何か仕事をしながらやっている人が多いのではないかと思います。

私もそうで、これまで会社勤めのかたわら、絵や陶芸作品の制作活動を続けてきました。

大学で英語を学んだので、英語を使って海外と関わる仕事がしたいと思い、都内のいくつかの企業で知的財産に関する仕事に従事してきました。主に海外のクライアントを担当していたため、日々語学力を磨き、様々な国の企業や弁護士等とやりとりをしてきました。一方のアーティスト活動としては、社会人になってから京都にある芸術大学の陶芸科に通い、陶芸の基礎を学び、その後アイスランドのアーティスト・イン・レジデンスで滞在制作をしたり、海外のアートフェスティバルに参加したり、国内で個展を開催したりしてきました。

こうして会社勤めをしながら作品制作を続けていましたが、フルタイム、残業ありの仕事をしながら、余った時間で作品の制作をしていくのは体力的にかなりハードで、そもそも時間が余らない毎日が続いていました。そんな中、思い切って前職を退職し、しばらく作品制作だけに専念してみました。その間に個展も開催し、このまま作品制作を続けていきたい気持ちが大きくなる中、高鍋町の「アートによるまちづくりを担う芸術家」の募集をたまたま見つけ、自分のやりたいことにぴったりの仕事内容だったため、応募しました。


高鍋町に来てから田んぼを観察するのが日課に

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完成した作品そのものだけでなく、制作過程や、町での普段の生活の様子も、Instagramで継続的に発信していきたいと思っていて、高鍋町の様子を少しずつ発信しているところです。よかったらフォローしてみてください。

私個人のYoutubeチャンネルにも、作品や高鍋町に関する動画を少しずつ上げています。良かったらチャンネル登録して応援していただけると嬉しいです。

雨の日の高鍋町

…と、ここまで書いてきた内容と多少重複する記事が、高鍋町の地域おこし協力隊公式サイト隊員ブログにも書いてあります。そちらもよかったらチェックしてみてください。